〈北海道遺産全一覧(52件)〉

北海道遺産

北海道遺産を集めました。北海道遺産は、現在52カ所あります。このページは、北海道遺産協議会の認証を受け、制作しています。
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「稚内港北防波堤ドーム」(稚内市)

稚内-樺太大泊間の旧稚泊航路整備の一環として、冬季の北西越波防止のために建設された半アーチ式ドーム。海上からの高さ14m、柱間6mの円柱70本を並べた長さ427mの世界でも類を見ない独特の景観と構造です。


「宗谷丘陵の周氷河地形」(稚内市)

宗谷丘陵に見られるなだらかな斜面は、約1万年前まで続いた氷河期の寒冷な気候のもと、地盤の凍結と融解の繰り返しによって土がゆっくりと動くことでつくられたもので、周氷河地形と呼ばれています。


「天塩川」(流域市町村)

天塩川は延長256km、北海道第2位の河川です。河口までの160kmを一気に下ることができる日本有数のカヌー適地としても知られています。


「留萌のニシン街道(旧佐賀家漁場、旧花田家番屋、岡田家と生活文化)」(留萌地域)

ニシン漁は、豊漁、薄漁、凶漁と気まぐれに押し寄せるニシンに翻弄され、いったん群来を見ると番屋では数の子や身欠きニシン作りにあけくれた。ある年、ニシンは忽然と姿を消したが、そんなニシン漁の賑わいをニシン街道の番屋と生活文化を今に伝えています。


「増毛の歴史的建物群(駅前の歴史的建物群と増毛小学校)」(増毛町)

「増毛」駅前のふるさと歴史通りには、明治中期に建てられた国重要文化財「旧商家丸一本間家」を始め、風雪にも耐えた石造りや木造の建物が並びます。高台にある旧増毛小学校は、戦前に建築され平成23年度まで使用されていた木造校舎でそのまま保存されています。


「旭橋」(旭川市)

旭橋は道北の中心都市旭川を流れる石狩川に架かる橋で、明治25年、現在の位置に土橋が架けられたのに始まり、昭和7年、鋼鉄製のアーチ曲線を描く橋が、当時の最新技術をもって竣工しました。川のまち・旭川の象徴です。


「土の博物館『土の館』」(上富良野町)

スガノ農機株式会社が開設している「土の館」は、北海道開拓が過酷な気象条件の中で進められた経緯を今に伝えています。特に高さ4mの巨大な土の標本展示は世界に類を見ず、大正15年に起こった十勝岳噴火による泥流災害の凄さと、立ち直っていった人々のたくましさを汲み取ることができます。併設のトラクター館には、110年前の蒸気トラクター、60~90年前のトラクターを74台展示しています。


「雨竜沼湿原」(雨竜町)

増毛山地の標高850mにあり、北海道の山地湿原の中ではもっとも大きな高層湿原。大小様々な地塘(ちとう)が700以上あり、独特の景観を見せています。湿原植物も豊富で、昭和39年に道指定天然記念物、平成2年に暑寒別・天売・焼尻国定公園特別保護地区に指定されました。


「北海幹線用水路」(空知地域)

赤平市から南幌町(7市町)まで延長約80kmにおよぶ北海幹線用水路は、農業専用では日本で最も長い用水路です。空知平野の農地に水を供給するために造られ、北海道の穀倉を支える役割を果たしています。大正13年から4年で完成しました。


「空知の炭鉱関連施設と生活文化」(空知地域)

最盛期の1960年代に約110炭鉱、約1,750万トンの規模を誇る国内最大の産炭地として、北海道開拓や日本の近代化を支えてきました。エネルギー政策の転換により1990年代に全ての炭鉱が閉山しましたが、立坑櫓や炭鉱住宅、独特の食文化や北海盆踊りなど、炭鉱に関する多くの記憶を残しています。


「石狩川」(流域市町村)

石狩川は、大雪山系を源とし、上川、空知、石狩の大平野を形成して日本海に注ぐ大河川。度重なる洪水と闘いながらも、交通・物資輸送の道として大きな役割を担ってきました。


「江別のれんが」(江別市)

開拓使は内陸開発建築資材にれんがを奨励し、北海道庁赤れんが庁舎をはじめ多くの名建築が生まれました。大正以降、江別の野幌周辺へとれんが製造の中心が移り、現在も3つの工場が稼動しています。市内には小学校やサイロ、民家など400棟以上のれんが建築物が美しい姿で現存しています。


「北海道大学 札幌農学校第2農場」(札幌市)

「札幌農学校第2農場」は、クラーク博士の大農構想により、明治10年に建築した模範家畜房(モデルバーン)や穀物庫(コーンバーン)などわが国最古の洋式農業建築群を揃えており、ここから日本の畑作・酪農の技術普及が進んできました。施設内には、明治初期に輸入したアメリカ製畜力機械など、近代農業史を語る貴重な資料も展示されています。


「開拓使時代の洋風建築(時計台、豊平館、清華亭など)」(札幌市)

時計台は札幌のシンボルであり、近年は2階ホールが音楽会などの場として親しまれています。明治初期の洋風建築は和洋折衷型も含め、工業局庁舎、清華亭、永山邸、札幌農学校の農場建築などが遺されています。


「札幌苗穂地区の工場・記念館群」(札幌市)

福山醸造をはじめ、さまざまな工場や倉庫がひしめき、下町的な雰囲気を残しています。苗穂駅近隣にある北海道鉄道技術館、サッポロビール博物館、酪農と乳の歴史館は内容も充実し、北海道の産業史を知る上でも貴重な記念館群を形成しています。


「小樽みなとと防波堤」(小樽市)

「港湾工学の父」廣井勇により建設された北防波堤は、独特の傾斜ブロック工法を採用した日本初の外洋防波堤です。ケーソン工法を取り入れた島防波堤とともに、今も現役で機能しています。小樽のみなとは北海道移住の玄関口となり、また物流拠点、貿易港として、小樽の繁栄を支えています。


「ニッカウヰスキー余市蒸溜所」(余市町)

理想のウイスキーづくりをもとめた竹鶴政孝は、余市川の良質な水にも恵まれた余市町をその適地として選びました。ニッカウヰスキー余市蒸溜所は昭和11年、ポットスチルに火が点じられてモルトウイスキーの製造が開始されて以来、当時と変わらない製法でウイスキーの蒸溜、貯蔵を行っています。


「積丹半島と神威岬」(積丹半島)

積丹半島開発の歴史は古く、ニシン漁の旧大漁場として発達しました。切り立った断崖とシャコタンブルーと形容される神威岬の海岸美は絶景です。貴重な自然と産業の古い歴史に加え、明治から昭和初期に栄えた旧ニシン場の遺構として番屋、揚場跡、袋澗、トンネル、旧街道などが保存されています。


「京極のふきだし湧水」(京極町)

羊蹄山に降った雨や雪解け水が濾過され、地中のミネラルを加えながら数十年の長い時間を経て流れ出る恵みの湧水。「京極のふきだし湧水」は国内最大級のもので、1日の湧水量は8万トン、30万人の生活水に匹敵します。1985年、環境庁の「名水百選」にも選ばれました。


「スキーとニセコ連峰」(ニセコ地域)

スキー場の代表格が昭和初期から知名度の高かったニセコ連峰。娯楽が多様化した今日、ウィンタースポーツだけではなく、四季を通じての新しいアウトドアスポーツの拠点となっています。


「北限のブナ林」(黒松内町)

ブナは温帯を代表する樹種で、北海道では渡島半島だけに分布します。黒松内町はその北限で、太平洋側の長万部と日本海側の寿都を結ぶ黒松内低地帯が境界線。黒松内町では、自然の恵みを伝える自然学校の開設など、ブナ林が育む豊かな生物多様性を活かした取り組みが進められています。


「昭和新山国際雪合戦大会」(壮瞥町)

子どもの遊びを、大人が真剣に競う冬のスポーツとして確立したことは、雪国・北海道にふさわしい新しい文化といえます。1989年に始まった大会の歴史の中で、まちの若者たちの情熱とアイデアは海を渡り、今では北欧など海外でも「YUKIGASSEN」が開かれています。


「登別温泉地獄谷」(登別市)

地獄谷は北海道を代表する温泉地・登別温泉最大の源泉です。直径450mの谷底には大地獄を中心に15の地獄があり、毎分3,000Lが湧き出しています。多泉質が湧き出しており、世界的にも珍しい。地獄谷の周辺には表面温度が40~50度になる大湯沼、頂きから白煙が立ち上っています。


「内浦湾沿岸の縄文文化遺跡群」(函館市、伊達市など)

函館市の南茅部地域には現在91ヵ所の遺跡が確認されています。大船遺跡や垣ノ島遺跡をはじめ、著保内野遺跡で発掘された「中空土偶」は北海道初の国宝に指定されています。伊達市の北黄金貝塚は、縄文早期(7000年前)~中期(6000~4000年前)の遺跡で、住居や全国的にほとんど例のない「水場の祭祀場」が発見されています。


「姥神大神宮渡御祭と江差追分」(江差町)

姥神大神宮渡御祭の起源は370年前にさかのぼります。その年のニシンの豊漁に感謝を込めて行われたお祭で、現在も毎年8月9日~11日にまちは祭り一色となります。13台の山車(やま)が祇園囃子の調べにのって町内を練り歩くさまは圧巻です。


「上ノ国の中世の館(たて)」(上ノ国町)

史跡上之国館跡の一つである上ノ国町の夷王山中腹に広がる山城「勝山館」跡。松前藩の祖とされる武田信廣が1470年頃に築かれた館跡です。発掘調査では数多くの住居や出土遺物のほか、アイヌが使用した骨角器や和人墓と隣接したアイヌ墓がみつかったことから、和人とアイヌの混住説が唱えられています。


「福山(松前)城と寺町」(松前町)

江戸時代の日本で最後に築城された城郭で、箱館戦争では旧幕府軍と官軍の戦場となりました。城の北側には道内唯一の近世的な寺町があり、龍雲院、法源寺、法幢寺など5つの寺や松前藩主松前家墓所が現存しています。


「五稜郭と箱館戦争の遺構」(函館市など)

箱館戦争は明治元年秋の旧幕府脱走軍の侵攻に始まり、翌年春の新政府軍の反撃により、五稜郭開城で終わりました。鷲ノ木、五稜郭や急ぎ造成された四稜郭、福山城、開陽丸が沈没した鴎島沖、新政府軍が上陸した乙部海岸、激闘の二股口、土方歳三が戦死した一本木関門などの遺構が残されています。


「函館山と砲台跡」(函館市)

夜景で有名な函館山にはもう一つの顔があります。津軽海峡を望む函館山は明治中期に要塞化が進められ、多数のレンガ壁・コンクリート洞窟掩蔽壕・砲台座が残り、大規模の旧状を残す軍事土木遺産は全国的にも例は少ないです。


「函館西部地区の街並み」(函館市)

函館は安政6年、横浜、長崎とともに最初に開港し、近代日本の幕開けを告げた町です。函館西部地区には、埠頭倉庫群、函館どつく(函館ドック)のような歴史的港湾施設、旧函館区公会堂やハリストス正教会復活聖堂に代表されるハイカラな洋風建築の商家や住宅が建ち並びます。


「路面電車」(函館市、札幌市)

函館市電は明治期に馬鉄で出発し、大正2年に電車化。観光都市・函館で果たしている役割は大きい。
大正7年に始まった札幌市電は、路線の拡大や車両の改良を加え都市交通の中心でしたが、地下鉄の開業などによって現在は1路線のみが運行しています。ササラ電車は札幌の冬の風物詩。


「静内二十間道路の桜並木」(新ひだか町)

二十間道路は、和種馬の大型改良のために明治5年に黒田清隆が進言し、静内町(現・新ひだか町)から新冠町にまたがる地域に開設した御料牧場のための行啓道路です。龍雲閣まで直線で7㎞、幅20間(約36m)にわたって両側に約3,000本にのぼる樹齢100年のエゾヤマザクラなどの並木が続きます。


「モール温泉」(音更町)

モール温泉は、泥炭を通して湧出するもので独特の黒っぽい湯が特徴です。日本では十勝に代表して見られるほか、石狩平野や豊富町でも湧出しています。モールの主成分は植物性腐食質で、鉱物成分より植物成分が多いのが他の温泉との違いです。また、熱源は地熱に加えて、地下での植物の堆積物による発酵熱と考えられています。


「螺湾(らわん)ブキ」(足寄町)

足寄町の螺湾川に沿って自生する螺湾ブキは高さ2~3mに達する巨大なフキ。かつては高さ4mに及び、その下を馬に乗って通ることができたというが、なぜ大きくなるのかはいまだに謎が多い。また、自生ブキの他にも、農業者が農産物として栽培ブキの生産を行っています。


「旧国鉄士幌線コンクリートアーチ橋梁群」(上士幌町)

昭和初期に十勝内陸の森林資源の運搬を目的に建設された第1級の鉄道遺産。地元住民を中心とした活動で保存が実現されました。中でも季節によって見え隠れする「タウシュベツ川橋梁」、32mの大アーチを持つ「第三音更川橋梁」が有名です。


霧多布湿原」(浜中町)

湿原景観を構成するすべての要素が一望できる学術的にも貴重な湿原です。一部は「霧多布湿原泥炭地形形成植物群落」として大正11年に天然記念物に指定され、数百種の高山植物が自生しています。春から秋にかけて咲く花々の美しさを楽しみ、タンチョウや白鳥など百種の野鳥も観察できます。


「摩周湖」(弟子屈町)

阿寒国立公園の原始の自然に囲まれた「神秘の湖」は世界有数の透明度と美しい乳白色の霧の風景で知られていいます。摩周湖には流入河川も排水河川もないが水位は一定している。その景観は、北海道の湖沼と山岳の複合景観として最も代表的なもの。摩周湖および周辺環境の保全に向けた「摩周湖宣言」に集約される地域住民の取り組みは高く評価されています。


「根釧台地の格子状防風林」(中標津町など)

中標津町、別海町、標津町、標茶町にまたがる格子状防風林は、地球規模的なスケールです。幅180m、総延長648㎞の林帯は、防風効果だけではなく野生動物のすみかや移動の通路としての機能も果たしています。


「野付半島と打瀬舟」(別海町、標津町)

全長26㎞の日本最大の砂嘴(さし)で、擦文時代の竪穴式住居も見られます。江戸時代には国後へ渡る要所として通行屋が設けられ、北方警備の武士も駐在しました。トドワラ、ナラワラの特異な景観や、春と秋に野付湾に浮かぶ打瀬舟の風景が多くの人々をひきつけています。北海シマエビ漁に用いられる打瀬舟は野付湾の風物詩となっています。


「ワッカ/小清水原生花園」(北見市、小清水町)

ワッカ原生花園は「龍宮街道」と呼ばれる日本最大の海岸草原です。オホーツク海とサロマ湖に面し、春から秋には300種以上の草花が咲き誇ります。車の乗り入れ規制や地元漁協による植林など先駆的な試みを展開。
小清水原生花園は一時期、花が衰退しましたが、平成5年より野焼きや球根の植栽、帰化植物の除去を行い、花のあふれる公園によみがえりました。後背部の濤沸湖沿いにあるヒオウギアヤメ群落とそこに放牧される馬の群れは特有の景観です。


「ピアソン記念館」(北見市)

アメリカ人宣教師G.P.ピアソン夫妻の私邸として1914年に建てられました。夫妻は道内各地を伝道し、その終着に選んだ地が野付牛(現在の北見)です。廃娼運動や慈善活動など、夫妻の志は今も北見の精神文化のよりどころとして多くの市民に親しまれています。設計者は近江兄弟社創設者としても知られているW.M.ヴォーリズです。


「森林鉄道蒸気機関車「雨宮21号」(遠軽町)

「雨宮21号」は東京・雨宮製作所で製造された初の国産11トン機関車です。昭和3年、丸瀬布-武利意森林鉄道に配属され、国有林から伐り出した丸太や生活物資の搬送に携わってきましたが昭和36年に廃止。地元の強い要望で昭和51年、北見営林局から町に譲渡され、町は"森林公園いこいの森"を建設、機関車を走らせました。動態保存は道内では唯一のものです。


「オホーツク沿岸の古代遺跡群」(網走地域)

オホーツク沿岸地域では縄文、続縄文、オホーツク文化、アイヌ文化まで各時代の遺跡が分布し、遠軽町(旧白滝村)など内陸部では旧石器時代の遺跡が多く見られます。オホーツク沿岸の遺跡は樺太・シベリアなど大陸諸文化との関係が強く認められ、竪穴住居が連綿と残る常呂遺跡、オホーツク文化遺跡として著名なモヨロ貝塚、縄文後期の朱円周提墓などが代表格です。


「流氷とガリンコ号」(紋別市など)

冬のオホーツク沿岸に押し寄せる海の邪魔者を逆手に取った流氷観光です。紋別市ではアラスカの油田開発用に試験的に作られた砕氷船を「ガリンコ号」と名付けました。沖合約1㎞のオホーツクタワーでは、海底7.5mから流氷観察や流氷下のさまざまな生態の観測ができます。紋別市は流氷研究国際都市を宣言し、流氷の大切さを訴えています。


「屯田兵村と兵屋」(北海道各地)

屯田兵は明治8年の札幌郡琴似村に始まり、開拓と軍備のため、明治32年の士別、剣淵まで道内各地に37の兵村が置かれました。上湧別町には当時の区画の北兵村地区と南兵村地区が残ります。札幌市琴似、士別市、厚岸町太田、根室市和田などに兵屋、札幌市新琴似、江別市野幌に中隊本部の建物が保存され、北見市の信善光寺には屯田兵人形75体が奉られていました。


「北海道の馬文化(ばん馬、日高のサラブレッドなど)」(北海道各地)

北海道の馬の歴史は古く、明治期には農耕など開拓の労働力として人々と苦労をともにしてきました。農耕馬の力を試したお祭りばん馬は「ばんえい競馬」に発展し、現在は帯広市のみで開催されています。また、サラブレッドの改良が進み、浦河町の「JRA日高育成牧場」では世界に通用する強い馬づくりに取り組んでいます。また馬産地・日高の牧場風景は観光資源にもなっています。


「アイヌ語地名」(北海道各地)

北海道の地名の約8割はアイヌ語に由来するとされています。現在は片仮名や漢字で表記され原音と異なる場合もありますが、本来はアイヌ民族の自然と調和した伝統的生活の中から歴史的に形成されたものです。


「アイヌ文様」(北海道各地)

世界の各民族には、それぞれ独特の精神的意味合いを含めた「文様」があります。アイヌ文様の基本はモレウ(静か・曲がる:渦巻き文様の意)、アイウシ(とげ・つく:とげ文様の意)で、これらを組み合わせ、連続した線で結んでいきます。その形状、図案や色彩は、印象深い美的価値を含んでいます。


「アイヌ口承文芸」(北海道各地)

アイヌ民族が育んできた文化「口承文芸」は人から人へ、長い間、途切れることなく語り伝えられてきました。サコロベ、ユカラなどと呼ばれる英雄叙事詩は、短いメロディーを繰り返しながら、空を飛ぶなど超人的な行動も含まれる壮大なストーリーとなっています。


「サケの文化」(北海道各地)

石狩市では、縄文時代の遺跡からサケを捕獲したと推定される仕掛けが発見されています。母川回帰は生命のドラマを生み、自然環境保護の目に見える指標でもあります。サケ漁がさかんな標津町では、平成21年に「標津町サケマイスター制度」を創設しました。


「北海道のラーメン」(北海道各地)

ラーメンの起源は諸説ありますが、ラーメンは、北海道の観光資源としても欠かせない存在であり、札幌・函館・旭川・釧路など、地域ごとに特色を持ったラーメンが脚光を浴び、ご当地ラーメンブームの火付け役となりました。


「ジンギスカン」(北海道各地)

ジンギスカン料理の発祥については諸説がありますが、北海道でもっとも広く、かつ特徴的に発達しました。花見などでも定番であるジンギスカンは、鍋を囲んで人と人をつなげる役割も果たしています。